1997年1月30日

マックな男のWindows夜話 その2

8年前に導入されたPC-9801VM21とPC-PR201H3という,ほとんど化石のようなパソコンしかなかった私の職場に,昨年9月ついに新しいパソコンが入った。



PC-9821V13。バリュースターと呼ばれる,Windows95,一太郎,ロータス1-2-3等のソフトがインストールされた,標準的なパソコンセットだ。(本当はWord&Excel;モデルを希望したのだが)



たまたま私の机のすぐ隣にセットされたので,いたずら半分に使い始めてみました。もちろん,マックな私としては,マイコンピュータ等のアイコンを右端に移動し,タスクバーを上にするなどの「マックもどき」も試してみたりしました。(すぐに飽きて元に戻したけど)



使ってみて一番良いと思ったのは,パソコンと一緒に入ったMultiWriter2000EというA3のレーザープリンター。なにしろプリントアウトが速い!指示してから45秒で印刷完了。しかも600DPI相当の解像度ということで,仕上がりも綺麗。

��年前に買ったPersonalLaserWrierLSという300DPIのApple純正プリンタ(当時は20万以上した)を大事に使ってきた私としては,隔世の感といった心持ち。



しかし,インストールされたロータスはどうも使いづらい。マックではずっとEXCELを使い続けてきただけに,「こんなことができないの?」ということが多すぎた。ことに,「表示形式オタク」を自認するほど,EXCELの多様な表示形式を使いこなしてきた私には,ロータスの表示形式はあまりにお粗末に思えた。



そんなこんなで,一ヶ月もしないうちにEXCEL95を自費で買ってきてしまうのでした。そしてこのことが、私をWindowsマシン購入への道を選択させる,大きな要因となってしまうのです。(つづく)



2005年の回想

今でもEXCELは,マックよりWindowsのほうが速いです。Intelマックになったら並ぶのでしょうかねえ。



マックな男のWindows夜話 その3

職場に入った新しい98を使ってみた私は,慣れないロータスに辟易し,結局自費でEXCEL95を買ってきしまった。EXCEL95は,正確にはVer.7というもので,機能もファイル形式もVer.5とほとんど同じだけど,ユーザー・インターフェースをWin95ライクにし,なおかつ全体的にスピードアップしたものらしい。



私がマック上で使っているEXCELはVer.4。Ver.5へのアップデートは,費用の捻出に苦労しているうちに,アップデートの締切りが終わってしまったというお粗末。もっとも,IIciには負担が大きいのではないか,というためらいがあったことも事実ですけどね。



そんなマック版EXCELを使い慣れていた私にとって,EXCEL95の第一印象は,



「は・や・い-っ!!」



起動が速い♪計算が速い♪保存が速い♪なにもかも速ーい♪

��イミテーション・ゴールド風にお歌いください。)



なんといっても再計算スピードの速さは感動モノでした。ちょっと大きなワークシートになると,マックの場合は,「再計算あと残りセルいくつ」というカウントダウンを見せられることが多かったのに,EXCEL95では,一番大きいワークシートでも瞬時に終了してしまう!

この違いは,IIciがトロいだけが原因じゃない。家で使っているパワーマックでもそんなに速くはならないのです。(参考までに,パワーマックはPPC601の90mHzで,98はPentiumの133mHz)



速さに加えて私の心を揺さぶったのは,ソフトの安さ。EXCEL95はアカデミックパック(学生と教職員のためのサービス価格)だと,9,000円そこそこで買えてしまう。

Word+Excel+Access+PowerPoint+Scheduleというお得なパッケージであるOffice95Proですら,20,000円しないのである。



マック版EXCEL Ver.5の市場価格は34,000円以上する。Officeならスタンダードでも48,000円以上するのだ。(OfficeProはリリースされていない)



私物のパソコンを仕事に使い,ソフトも自費で買うしかない身にとって,この価格差はあまりにも大きい。



これを機会に,仕事に使うパソコンはWindowsパソコンに切り替えようか?しかし,それにつきまとうリスクだって少なくはないんじゃないか?うーん,どうしよう...



と,思い悩んでいた私の元に,これぞ決定打というべき知らせが届いたのでありました。(つづく)



2005年の回想




なんかじらすような書き方していますが,実際は1日でほとんど書き上げて,毎日1つづつ分けてアップしていただけでした。



1997年1月27日

マックな男のWindows夜話 その1

わたしと同い年(正確には私が一ヶ月早い)のスティーブ・ジョブスがアップルに復帰。考えるだけで顔が「にまーっ」としてくるような、去年の暮れのニュースだった。



プロフィールに書いたように、1988年にMacintosh SEを購入して以来、自他ともに認めるマックな生活を送ってきた。そして、1989年からは仕事にもずっとマックを使っている。お仕事マックは名器Macintosh IIciだ。



そのIIciも、さすがに7年たつとパフォーマンスが見劣りしてきます。というよりは、システムやアプリケーションがバージョンアップのたびに重くなってきたのが良くないんだと思いますけどね。

��年酷使し続けてきたけど、どこもガタきてないもん。唯一、メモリー増設の時にソケットを壊して以来、消しゴムでSIMMが倒れないようにしてるところくらい。



で、さすがにマシン入れ替えかなってことで、最初に目をつけたのはCD-ROM内蔵の新パワーブック。次のお仕事マシンはラップトップでいこうという路線は決めていたので、CD-ROM内蔵タイプが出るというニュースが出た時は「これだ」と思いました。



しかし、そんな構想を足元からくつがえす出来事がおきたのだ。(つづく)



2005年の回想

ダークサイド,じゃないWindowsに落ちていく様を綴るWindows夜話シリーズの始まりです。



1997年1月25日

初登場!カイさんの声

「ぬくぬくカイさん」に書いたように、ストーブの前で暖をとるカイさんは、まさに「極楽」といった感じ。

そんなエクスタシーに浸っているカイさんのお尻をちょっと撫でると、こちらを振り返りつつ、なんともなまめかしい泣き声をあげるのであります。

てな訳で、成り行き任せの本邦初公開!カイさんの泣き声「ちょっと甘ったれバージョン」であります。
使用ハードは、PowerMac7200/90と、Apple PlaneTalk Microphone。そしてソフトはSoundMachine2.1。サンプリングレートは22.3kHzでした。

1997年1月24日

ぬくぬくカイさん

今年の仙台の冬はけっこう寒い。雪もよく降る。




そんなわけで、昼間ひとりで留守番を(といったって食う寝る遊ぶ)しているカイさんは、ポカポカあったかい炬燵が大好きなのです。




「ネコは暖かいところを探す名人」というのは、同じ猫飼い仲間で、我々夫婦の仲人でもある(順序が逆か?)、Hiroさんの名言。以前アパートに住んでいた時は、カイさんはよくテレビの上で寝ていました。すごくあったかいんですよね、テレビの上って。




そんなカイさんも、最近はコタツだけでは物足りないらしく、朝わたしが起きた時や、仕事を終わって帰宅した時に、ストーブのスイッチを入れると、もぞもぞと出てきてストーブの真正面に陣取ってしまいます。しまいには、なんとも無防備なスタイルでだらっと寝てしまったりする。




私が、夜中にこうしてパソコンに向かっている今も、振り向くとカイさんが

「あのー、ストーブ止まってますけど」

という顔をしてこっちを見ているのだ。(ウチのストーブは3時間たつと自動的に止まってしまう)



佐野元春ライヴ の巻

横浜で、佐野元春と過ごしたクリスマスイヴ。



わたし、生まれて初めて,自分のお金で買ったレコードって,佐野の「クリスマスタイムインブルー」だったんであります。

その曲を12月24日の夜に横浜で,こ~んなに豪華なメンバーの演奏で聴けようとは!

それに、この曲って,こんなになつかしかったかしらとしみじみ。

思えば佐野ファンになって13年。

わたしの人生、半分が佐野とともに過ごした日々なのでありました!



横浜アリーナでのライブ「フルーツパンチ」最終日。

途中休憩10分を入れての3時間を越える大演奏会。

井上鑑指揮の弦楽団、スカパラホーンズ(冷牟田氏、足負傷にて欠場)

コーラスのセクストンシスターズ。

みーんなひっくるめてインターナショナルホーボーキングオールスターズ。



選曲でめずらしかったポイントは「SOMEDAY」をやったこと。

あとはこないだのフルーツツアーでは全部はやらなかった

アルバム「フルーツ」の曲をみんなやった。



生ダラで貴明さんが来たがってましたけど,ステージに姿は見せませんでした。

生殺しチームのテーマソング「フリーダム」はもちろん演奏されましたよ。



さて、こんなにも贅沢な演奏会だったのに最後に一番印象に残ったのは,井上鑑がびかびかの銀のガウン姿で激しく目立って指揮をしていたこと(謎)。

しかも後半はなぜかギターまで披露して果てはタンバリンを振って踊っていた...。

あきらぁぁぁ。

��文責:たけうち)



2005年の回想

同居人のネタ流用作戦その10です。私にとっては初めての横浜アリーナでした。文中に出てくる井上鑑とは,アレンジャー・プロデューサーとして数々のアーティストの作品に関わってきた井上鑑氏のことであります。



ウルフルズのライヴ の巻

A.A.P.と書いてアホアホパワーと読む。

ウルフルズがA.A.P.全開で宮城県民会館、ちょー満員の観客を前に歌って踊ってしゃべりまくってキャーキャー言われて大騒ぎの夜。



初めての仙台は94年,七夕祭りの夕涼みコンサート。

��5年、ビーブベースメントシアターで。

��6年、春は仙台市民会館小ホール。

さらにこの年末には宮城県民会館に立見までつくる大入り。



そんなわけで今回は一般電話予約でとったら立見席。1階のいちばんうしろで見ました。

荷物を手にしてキツキツの状態だったので拍手するのがやっと。でも逆に冷静に鑑賞できました。

やっぱりいいなあ、ウルフルズ。



だんだんステージとの距離は遠くなるけど,人気がうなぎのぼりってーのは歓迎です。

ついに最近はコマーシャルまで出ちゃって。

出たがっていた紅白にも出場できました。

裏番組ではトータス松本氏、作曲賞を受賞。

めでたいめでたい。



ことし6月、またウルフルズが来ますので(ちょっとしゃべりが長いのが気になりますが)歌よし、曲よし、演奏よしのバンド。ぜひどうぞ。

ちなみにこんどは仙台サンプラザ2DAYS!

��文責:たけうち)



2005年の回想

同居人のネタ流用作戦その9です。いい年こいて立ち見席はきつい。しかし席がとれても結局立ちっ放しなんですけどね。



1997年1月4日

フライングキッズのライヴ の巻

大穴とも予想どおりともいえるフライングキッズのライブ!



仙台市青年文化センターシアターホールに集まるフラキ(ファンはそう言うんだってよ)のファンは

みーんないいかんじ。

なーんか、そういうのって感じるでしょう?

顔にフラキへの愛情がじんわりとにじんでる人ばっかり。

会場に漂うおだやかな、なごやかな雰囲気。

そして素晴らしいのは男の子が多い!

しかもなんだかやたらに若い男の子も含む。

いいねぇ~。



いいねぇ~...とにこにこ顔で開演を待つ。

ジャ~ン、とかっこいい浜ちゃんの登場。

おーっ、本物。背が高い。

そういえばいつぞやは佐野のコンサートでサインをくれてありがとう。>浜

あの時、まわりに座っていた(そんときは気づかなかった)

ほかのメンバーのみなさんもステージ上だと一段とかっこいい。

純ちゃん(唯一の女性メンバー)は,むかしは浜ちゃんの横でマイクだけ持って踊ってたらしいですが最近はシーラEのごとくパーカッションに囲まれて歌ってました。

不思議なほどデビューからまったく変わらない垢抜けない顔つきの女性で親しみ深々。

��わたしに言われたかないだろうけど)



演奏を聴きながら初めてじっくり考えてみると,メジャーな若者バンド(?)の中ではかなり珍しい形態。

ギター2本、ほぼツインボーカル。

ダンス!って曲もあれば、じ~んって曲もある。

シングルで定期的にある程度のヒットを常に放つ。

やっぱり力のあるバンドだからできるんでしょうねぇ。

ライブは、アルバムの曲を全然知らなくても充分楽しめるものだったのだ。

やっぱりギター2本はかっこいい!



なんか、フラキって好きかも~。



ちょっと目覚めた たけうち

��文責:たけうち)



2005年の回想

同居人のネタ流用作戦その8です。これより前に宮城県民会館で行われた佐野元春のコンサートで,会場にフライングキッズのメンバーが来ていました。同居人はそこでサインをもらったらしい。