1996年1月10日

カイさんの履歴書

我が家の同居猫,カイさんの履歴書です。

名前は「カイ」

「カイ」は我が家の飼い猫の名前です。別に飼い猫だから「カイ」というわけではないらしく,育ての親が勝手に思いつきでつけた名前のようです。(ちなみに私は「養いの親」か?)

うまれは米ケ袋

カイさんは仙台市青葉区米ケ袋で生まれました。米ケ袋というところはなぜか野良猫が多い街で,よほど居心地がいいのか,あるいは住人が寛容なのか分かりませんが,車で通るといつも何匹かの猫をみかけます。その中にはカイの親・兄弟またはご親戚と思われる「牛柄」の猫がけっこういます。

カイさんがうちにやって来た

1994年5月のとある日。私の同居人が,米ケ袋のおばあちゃんちの物置でカイさんと出会いました。まだ生まれたばかりと思われるカイさんは手の平に乗るくらいの小さな身体で,物置の奥から出てこられなくてミィミィないておりました。よくよく見ると,カイさんは眼の様子がおかしい。眼がよく見えないので,親・兄弟とはぐれてひとりぼっちで物置にいたようだ。

元来動物好きの彼女は,どうしても放っておけず我が家(その頃はアパート)に連れて帰ってきました。自慢じゃないけど私は家で猫なんか飼ったことがない。せいぜい金魚か小鳥くらいである。そんな私の家に猫がやってきた。こりゃあはっきりいってカルチャーショック!でしたね。

病院めぐり

翌日,近くの動物病院を訪ねて診てもらい,飲み薬と目薬と離乳食と粉ミルクとスポイトを買ってきました。(これが結構な出費!)スポイトを口に入れると少しずつ,しかし力なくミルクを吸うようになりました。さてさて,この先どうしたものか。

困った末にパソコン通信で知り合った幸英さんに相談しました。幸英さんは以前「アビ」という名前の下半身マヒの猫を飼っていたことがあるそうです。幸英さんから「吉野動物病院」を紹介され,そこに診てもらうことにしました。そこの院長は「仙台の獣医のドン」なんだそうです。

吉野動物病院でカイさんは「眼球摘出手術を受けなさい」と診断されました。眼と脳は密接な関わりがあるので,このまま放っておくと脳にも影響が出てしまうとのこと。手術しても,その後ちゃんと生きていけるかどうか保証はできないとも言われました。

野良のままならきっと長くは生きられないカイさんが,人間の手によって「生かされる」ことは,果たして幸せなことなのでしょうか。

いろいろ迷ったあげく(迷っていたのは私だけか?)カイさんに手術を受けさせることになりました。保険の効かない猫の手術代7万円は正直いって痛かった。

晴れて家族の一員に

9日間の入院と大きな手術を終え,帰ってきたカイさんは,首に「エリザベス・カラー」と呼ばれるアクリル板を曲げたものを巻かれていました。手術直後の眼(があったところ)をカイさんがひっかかないようにするためです。

眼を失ったカイさんはこころもちシャープな顔だちになりましたが,それほど醜くはなく(ゴメン)なんか左甚五郎の「眠り猫」(日光東照宮にある)のように,眼をつぶって眠っているようです。

栄養をたっぷり取って元気を取り戻したカイさんは,毎日目を見張るような成長ぶりで,手乗り猫も卒業。家の中をうろうろと歩き回るようになりました。そうなったらそうなったで家の中にも危険(私に踏まれるとか)はあるもの。そこで友人の聡美さんからペット用のゲージをお借りして,そこに寝させることにしました。ゲージの中にはタオルを敷き,水飲み用の皿とエサ皿もおきました。遊ぶ時は部屋中駆け回り,天気の良い日には窓際で日向ぼっこです。

こうしてカイさんはアパートの一室でこっそりと(大家には内緒だった),しかしスクスクと大きくなっていきました。

※この記事は、以前公開していたホームページに掲載していた記事を、ココログに転載したものです。日付はオリジナルの公開日としています。

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