私は地震発生当時、勤務先の学校で仕事中でした。
最初の揺れが来た時、とっさにテレビのスイッチを入れに行きましたが、速報を待つ間に、揺れがとんでもないことになってきました。
みんなが机の下に避難している時も、何を考えていたのか分かりませんが、必死にテレビが倒れてこないようささえつづけていました。
揺れが少し落ち着き、子どもたちとともに校庭に避難しました。
その後も余震が続きましたが、建物が倒壊するなどの被害はなかったので、比較的落ち着いて対応できていたと思います。
iPhoneの地震チャンネルで、震源が牡鹿半島冲と分かり、これがいつか来るといわれ続けていた、宮城県沖地震なのだと理解しました。
電気が止まり、電話もメールも止まっている中、少しずつ子どもを引き取りにくる保護者が増えて、夜の9時ころに全ての引き渡しが完了しました。
子どもたちと入れ代わりに、地域の方々が避難してこられました。
一週間がたちました。
相変わらず忙しく、ライフラインも回復しきってはいませんが、自分の命、家族の命を残してもらえたことに、ただただ感謝です。